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田中千秋 もっと詳しいプロフィール
ピアニスト。
4歳のころ、鼻をタラしながら幼稚園の音楽教室でオルガンを習い始める。
みようみまねでクイズに答えて手をあげていたのだが、先生があやまって指したところ、偶然にも「ミ」という答えで正解し、感激した両親は才能があると思いこんでしまう。
両親は汗水タラして働き、子供が小学校へ上がるときにピアノを買ってしまったのです。
本人は体が弱かったせいもあり、あまり外で遊べなかったため、ピアノは遊び半分だったのだが。小学校3年のときノドチンコの手術を受け、「のりたまのふりかけ」を心の支えに退院する。中学ではブラスでトロンボーンを吹いてきたない音に喜び、高校ではステレオをいじくるようになる。このときうっかりステレオを壊してしまったのだが、ここで覚えた修理の技術が、コンピュータまで通じていようとは、思いもしなかったのだ。だってその頃はコンピュータなんてなかったんだもん。
大学は武蔵野音大に行き、卒業後はものたりないので洗足学園マスタークラスに入る。
ここでマックス・エッガーという素晴らしい先生に出会い、おおいなる薫陶をうけ、現在に至る。
小さなコンサートはちょこちょこしていたのだが、なにを勘違いしたか、リストの『超絶技巧練習曲集』全12曲の演奏会をやりたい、というあやまった願望を抱くようになり、前哨戦としてショパンのエチュードを練習するかたわら、ボディビルのジムに通う。
ここで「ロッキーのテーマ」とともに飲んだプロテインは、やがてしなやかな筋肉となり、1987年、音友ホールでの『超絶技巧練習曲集』全曲リサイタルとなるのである。体が弱いというハンディを乗り越え、よくぞここまで無事で...なんだって? うるさかった? でもこれ邦人初なんです。
めでたしめでたし、と言いたいところだが、ふとしたきっかけで、何かが足りないことに気づくのだ。
なんだろう?・・・。それがです、ひょんな事からヘミングウェイの「陽はまた昇る」や、ピアニストのルービンシュタインの自伝などを読むうちにスペイン音楽をかじるようになり、はては「ス」という本があったら駆け寄り、なめるように買い漁る、というスペイン中毒になってしまったのです。
思いは高じて日の昇ったスペイン、サンティアゴ・デ・コンポステラという日本から見たら地の果てのような所の講習会へ行くのだが、ここでアントニオ・イグレシアスという先生に出会い、手紙のやりとりから、はては先生の自宅でアルベニス「イベリア」やファリャ「ファンタジア・ベティカ」のレッスンを受けることとなる。うれしかったね。
こうして頭に血が上った状態のまま、1992年にまたまた音友ホールでリサイタルを開いてしまう。
こうなったらもう、赤い布を振られた闘牛の牛状態。出し物は「イベリア」全曲!
聞いていた人、うるさかったろうね。ゴメンね。 ちなみにこれも邦人初だってさ。
そうこうするうち、コンピューターの趣味がこうじて、インターネットでホームページを作るようになりました。
今はみなさん、見ての通りです。
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