録音がステレオでお楽しみになれます。


田中 千秋

東京に生まれ、6歳よりピアノをはじめる。武蔵野音楽大学ならびに洗足学園マスタークラスを修了し、86年まで各地でジョイントリサイタルを開催。86年 F、リストの没後100周年を記念し、翌87年まで各地で「超絶技巧練習曲集」全曲演奏会(邦人初)を開催、 好評を得る。以後、ラテンの音楽に魅了され、アルベニス、グラナドス、ファリャ他の作 品に手を染めて90・91年と渡西、Santiago de Compostela(スペイン)の講習会でアント ニオ・イグレシアス教授とめぐりあい、スペイン音楽への傾倒を深める。92年にアルベニ スの組曲「イベリア」全曲演奏会を開き好評を博す。坂井玲子、山崎孝、マックス・エッ ガー、アントニオ・イグレシアスの各氏に師事。国際ピアノコンクール「ローマ1992」 (イタリア)審査員。聖徳学園非常勤講師。


F.リスト『超絶技巧練習曲集』全12曲リサイタル生録! 1987.9.29 音楽の友ホール(神楽坂)

*ライブ録音ゆえ、多少お聞き苦しい箇所もあるかと思いますが、曲中の編集はいっさいしてありません。

1.前奏曲 Preludio 1'05

2.イ短調 a-moll 2'22

3.風景 Paysage 5'43

4.マゼッパ Mazeppa 7'23

5.鬼火 Feux follets 4'05

6.幻影 Vision 6'05

7.英雄 Eroica 4'51

8.狩 Wilde Jagd 5'19

9.回想 Ricordanza 10'23

10.ヘ短調 f-moll 4'07

11.夕べの調べ Harmonies du soir 8'42

12.雪かき Chasse-neige 4'36


アンコール エステ荘の噴水 7'35
Anchor / Les jeux d'eaux a la Villa d'Este

田中千秋 もっと詳しいプロフィール

ピアニスト。

 4歳のころ、鼻をタラしながら幼稚園の音楽教室でオルガンを習い始める。

 みようみまねでクイズに答えて手をあげていたのだが、先生があやまって指したところ、偶然にも「ミ」という答えで正解し、感激した両親は才能があると思いこんでしまう。
両親は汗水タラして働き、子供が小学校へ上がるときにピアノを買ってしまったのです。

 本人は体が弱かったせいもあり、あまり外で遊べなかったため、ピアノは遊び半分だったのだが。小学校3年のときノドチンコの手術を受け、「のりたまのふりかけ」を心の支えに退院する。中学ではブラスでトロンボーンを吹いてきたない音に喜び、高校ではステレオをいじくるようになる。このときうっかりステレオを壊してしまったのだが、ここで覚えた修理の技術が、コンピュータまで通じていようとは、思いもしなかったのだ。だってその頃はコンピュータなんてなかったんだもん。

 大学は武蔵野音大に行き、卒業後はものたりないので洗足学園マスタークラスに入る。
ここでマックス・エッガーという素晴らしい先生に出会い、おおいなる薫陶をうけ、現在に至る。

 小さなコンサートはちょこちょこしていたのだが、なにを勘違いしたか、リストの『超絶技巧練習曲集』全12曲の演奏会をやりたい、というあやまった願望を抱くようになり、前哨戦としてショパンのエチュードを練習するかたわら、ボディビルのジムに通う。
 ここで「ロッキーのテーマ」とともに飲んだプロテインは、やがてしなやかな筋肉となり、1987年、音友ホールでの『超絶技巧練習曲集』全曲リサイタルとなるのである。体が弱いというハンディを乗り越え、よくぞここまで無事で...なんだって? うるさかった? でもこれ邦人初なんです。

 めでたしめでたし、と言いたいところだが、ふとしたきっかけで、何かが足りないことに気づくのだ。
なんだろう?・・・。それがです、ひょんな事からヘミングウェイの「陽はまた昇る」や、ピアニストのルービンシュタインの自伝などを読むうちにスペイン音楽をかじるようになり、はては「ス」という本があったら駆け寄り、なめるように買い漁る、というスペイン中毒になってしまったのです。

 思いは高じて日の昇ったスペイン、サンティアゴ・デ・コンポステラという日本から見たら地の果てのような所の講習会へ行くのだが、ここでアントニオ・イグレシアスという先生に出会い、手紙のやりとりから、はては先生の自宅でアルベニス「イベリア」やファリャ「ファンタジア・ベティカ」のレッスンを受けることとなる。うれしかったね。

 こうして頭に血が上った状態のまま、1992年にまたまた音友ホールでリサイタルを開いてしまう。
こうなったらもう、赤い布を振られた闘牛の牛状態。出し物は「イベリア」全曲!
聞いていた人、うるさかったろうね。ゴメンね。 ちなみにこれも邦人初だってさ。 

そうこうするうち、コンピューターの趣味がこうじて、インターネットでホームページを作るようになりました。
今はみなさん、見ての通りです。