|
|
|
|
|
|||||||||||||||||||||||
|
お求めは:ノビス出版 Tel 03-3223-3232, Fax 03-3223-3377 ”石桁歌曲への貴重な挑戦” 奏楽堂顧問・評論家 萩原道彦 (ライナーノーツより) 滝廉大部、山田耕筰らの先人たちによって切り拓かれた日本の芸術歌曲は、約100年の歴史の中でさまざまの展開をみせたが、その中でも石桁真礼生の歌曲は際立った特色を持ち、その作風はどの山脈にも属さずに屹立する独立峰の厳しさを思わせるものがある。それだけに、演奏者にとって、また聴く側にとっても、よく「石桁歌曲はむずかしい」、という声がきかれる。確かに気軽に口ずさめる歌ではないし、うっとりした気分にひたれる曲でもない。それは、耳になじんだ、懐しの日本名歌とは全く別の世界なのである。石桁氏は、歌曲の作曲について「詩を読んで共感を得る。繰り返し読むうちに感動に高まり、それらは私の心の中に定着し発酵する。やがて、それらはその投影作用を強め、私の音楽として萌芽し、成長する。もうこの時点では、私の音楽は主体性を確立する。詩に音楽をつける、といった次元を越えているのだ。そして私はこれを仕上げる。」と述べている。そして、彼の代表作というべき「鴉」は、最初に作曲の意欲を感じてから仕上げるまでに、実に数年間の葛藤があったといわれる。このような歌曲の演奏には、歌い、手はもとより共演するピアニストにも、詩と音楽に対する深い、洞察が求められる。機械的な正確さだけでは歌にならず、美声だけでは本質に迫れない。しかも彼の曲には、情緒過剰、芝居過剰を許さぬ”男の美学”ともいうべき厳しい、潔癖さがある。奏楽堂日本歌曲コンクールで、石桁歌曲に挑戦する人たちの演奏を聴きながら、そのことを痛感していたが、その壁を破り見事栄冠を射止めだのが掘野・小島コンビだった。二人の石桁作品の演奏は、コンクール、リサイタルを含め五回ほど聴く機会があったが、聴くたびに音楽的密度の高まりがみられた。今回のCDにその成果が結集したことを喜びたい。
|
|||||||||||||||||||||||
|
お求めは:ノビス出版 Tel 03-3223-3232, Fax 03-3223-3377 または、堀野浩史 Fax 048-253-7276 ”挑戦”から”心の歌”へ 奏楽堂顧問・評論家 萩原道彦 (ライナーノーツより) 堀野、小島両君の日本歌曲の演奏に初めて接したのは1990年だった。この年、私が館長を務めていた上野の奏楽堂の創立百周年を記念して日本歌曲コ ンクールがスタート。堀野君は初回が奨励賞、翌年の第2回で第一位。小島君は2年連続で優秀共演者賞を受賞した。2人のコンビによる石桁真礼生の「鴉」の名唱が、いまでも強く印象に残っている。 堀野は東京芸大声楽科卒業後ドイツに留学してドイツリートを、小島も日大芸術学部のピアノ科を卒業したあとウィーンでドイツ歌曲の伴奏法を学んだ。 だが、そこで2人が得たものは、単にドイツ歌曲の技法や解釈にとどまらなかったようである。彼らは海外留学を通じ、自国の歌を大事にし、日本人としての芸術的アイデンティティを確立することの重要性を再認識したのではないか。 帰国後、堀野は外国の歌曲やオペラだけでなく、日本歌曲や「脳死を越えて」「浅茅ヶ宿」といった日本の創作オペラと積極的に取り組み、小島も平井康三郎主宰の「詩と音楽の会」や、松本民之助主宰の「まほらま会」などに参加し、新作歌曲の紹介に力を入れてきた。 そして、2人のコンビによる日本歌曲への挑戦は、まず難曲として敬遠されがちの石桁真礼生の作品に向けられ、前述のコンクールに続き、初リサイタルでも、初のCD録音でも、集中的に石桁歌曲が取り上げられた。 第2弾の今回のCDでは、その石桁を含む6人の作曲家の作品が収録されているが、猪本を除く5人はいずれも大正初期の生まれで、それぞれが強い個 性と主張を貫き、日本歌曲の歴史に新たな可能性を切り拓いた人たちである。このCDでの掘野の歌唱は、ボリス・クリストフの歌うロシアの歌や、ハンス・ポッターによるドイツリートを想起させるものがあり、掘野と小島のコンビによる日本歌曲の世界は、いまや「挑戦」の段階を過ぎ「心の歌」の域に近づきつつあるといえるであろう。 |